旧米軍内灘試射場着弾地観測所跡

「内灘闘争」というのをご存じですか?
これは、1952年(昭和27年)米軍による内灘砂丘の接収、砲弾の試射場化に反対して行われた運動です。
反対派村民は連日むしろ旗を持ってデモや座り込みを続け、全国から支援者が集まった。またその一方で条件賛成派の村民は大根布(おおねぶ)愛村同志会を結成、反対派との間で激しい攻防が繰り広げられました。

「内灘闘争」につきましては下記のサイトにて詳しく紹介されています。
読売新聞北陸発・お正月特集「いしかわ時間旅行2000」

草の根の女たちのあゆみ 内灘米軍基地反対を闘ったおかかたち


さて、試射場とは、米軍が朝鮮戦争で使う砲弾、弾薬を日本の企業に発注し、その実射テストのために内灘砂丘が米軍に接収され、兵舎や砲座、弾薬庫などが建てられました。
昭和32年に砂丘が返還された後はその施設は取り壊され、現在は2ヶ所着弾地観測所が今でもアカシア林の中でひっそりと残されています。
それでは内灘闘争の遺産とも言える着弾地観測場をご覧下さい。



散策路が整備されていると聞いていて、看板を頼りに行ってみたところ
草が鬱そうと茂る荒れ地のままでした。そこを暫く歩いていると見えてきました。








なんと、これほど荒れ果て見る人がいないと思っていたのに、
新しく立派な説明書きの看板がありました。









昭和32年に試射場が廃止されて以来風雪に耐え今も此処に佇んでいます。








今では自然に溶け込んでいるような感じがします。








年月の長さを感じます。








しかし、なにかしら落ち着く感じがしました。









海側に面したところはトーチカ状の形をしています。








権現守海水浴場方面を目標に射撃し、海岸に作られた標的に当たるか、爆発するか、
この分厚いコンクリート製のトーチカの狭い窓から観測していたのです。








今は、風雨に晒されて壁も剥がれてきていました。








さて、それでは中に入ってみることにします。









中はがらんどうで何もない空間でした。
細くて狭い覗き窓です。まあ、爆風と砂塵の影響を受けるのでこれで良いのですが。








覗き窓から海岸をのぞみます。当時の米兵に想いを馳せて・・・








トーチカの上からのぞみます。
今でこそ植林され緑多い景色なのですが、かつてはこの一面すべてが砂丘地帯でした。
あの内灘闘争から早いもので半世紀が過ぎようとしています。







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