額谷石切場跡

 藩政期から昭和中期にかけて、金沢市内山間部の多くの村々で生活用具や家の土台石などの素材として、大量の石が切り出されていました。この石切りの作業を通して石工の技術が向上し、辰巳用水築造にも役立ったといわれています。
 この高尾の山にある石切場は、現在確認できるもので二、三十カ所の洞穴があり、規模が大きく保存状態も比較的良好です。

 ここから産出した石材は額谷石(ぬかだんいし)と称され、軽石質・角礫灰岩で軟質のため、主に火ツイ(かまど)、七輪、火消ガメ、イロリ石、風呂釜などに用いられた。しかし、戦後の急速な近代化によって、セメント、コンクリート・ブロックやプロパンガスが普及し、石切りは姿を消しました。

 また、この洞穴は、第二次世界大戦の終結直前に三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として、多くの労働者による突貫作業で地下軍需工場に改造され、機械据え付けも行われたが、終戦を迎えて稼動には至らなかったといわれています。

 戦後はレジャーランドや米の貯蔵庫などの計画があったとされますが実現しなかったといわれています。
(金沢市金沢市教育委員会、1998年設置の現地の看板より抜粋引用)

参考サイト
金沢里山散歩」内の「額谷石切場跡(20年以上前の貴重な写真有り)」
きまっし金沢」内の「額谷石切場跡(アクセス地図有り)」

 



狭い林道を原チャリで登ってゆくと洞穴に遭遇しました。
(車でも行けないことはないが、道が狭すぎる)






異様な光景です。







これは、かつての石切場の跡で、人為的に作られたものです。









林道の終点より遊歩道の階段を上がると開口部の大きな洞窟がありました。








山肌にトーチカみたいな開口もあります。








地元有志によりベンチなども設置され草刈りなど整備されていました。









角角に削られた岩肌が迫力を感じさせてくれます。








奥行きはかなり深いです。(約四十メートル位か?写真は補正してありますが、実際は真っ暗です)










まるで古代遺跡みたいだ。








主に石材は、石垣、敷石、庭石、鳥居、手水鉢などの建材










かまど、七輪、水甕、風呂釜など生活用具など幅広く使われていました。









昭和中期まで石が切り出されていたそうです。









しかし、戦後急速な近代化により石の需要が減り石切りも姿を消してしまったそうです。










大戦末期、航空機エンジン製造工場の疎開先としてこの大きな洞窟が地下工場に接収されたそうです。









昭和18年から約2年かけて設営されたそうです。
道もろくに整備されていないような状態で
この山奥にこのような工場をこしらえたとは、今となっては想像もつかない。










結局、稼働前に戦争が終わり使われることがなかったそうです。
しかし、これも「戦跡」であることには相違ないでしょう。







戻る

inserted by FC2 system