三○金属鉱業 神岡鉱山栃洞鉱
岐阜県飛騨市 神岡地区(旧吉城郡神岡町 2004年2月合併により飛騨市に名称変更)
国内最大規模の非鉄金属鉱山である神岡鉱山は、採掘される鉱石量、亜鉛、鉛地金の生産高は屈指の規模を誇っていました。 神岡鉱山の歴史は古く、奈良時代の養老年間(720年頃)に、既に鉱山として歴史に登場し、室町・安土桃山・江戸とその時代毎に統治者を替えながら、営々と鉱物資源の採掘が行われてきました。 時代が代わり、1874年(明治7)、三井組(三井金属鉱業)が近代的な鉱山経営を開始しました。2001年6月、鉱石の採掘を中止するまで、実に130年間、近代化を歩む日本にあって亜鉛・鉛資源の安定供給に貢献してきた「鉱山(やま)」です。 神岡鉱山は、単に資源を有したというだけでなく、他の国内鉱山に先駆けた数々の採掘技術が確立され実践されてきた鉱山でもありました。トロッコ等の軌道を使用せず坑道を全て斜坑でつなげたトラックレスマイニングや、採掘における大型重機等の技術を採用した鉱山は国内で神岡が初めてでした。これにより、大型重機が坑内を縦横無尽に移動し、作業担当を専門化(クルーシステム)して高度な生産性を実現していました。 また、神通川流域のカドミウム汚染により、四大公害の「イタイイタイ病」を引き起こしてしまったことでも知られています。 2001年6月に事実上閉山、現在は輸入鉱石の製錬、廃棄バッテリからの鉛リサイクル、硫酸の処理等の業務が行われています。 この栃洞(とちぼら)鉱はかなり早い段階(昭和50年代)で閉鎖されたようですが、軌道、施設が比較的多く残されていました。 |
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