摩耶観光ホテル

昼夜共に素晴らしい風景が楽しめる神戸「摩耶山」

そこにもはや廃墟好きであれば説明不要の廃墟の聖地「摩耶観光ホテル」があります。
曲面を多用した美しいデザインと相まってその姿は圧倒的な存在感です。廃墟ファンだけでなく多くの人々を魅了しています。

2002年夏と2003年春に摩耶観を取材しました。思う存分に此処に浸り、さまざまな角度で写真を撮ってきました。
この取材時に写真家の方々と遭遇したということも印象的でした。

建物外観 玄関、連絡通路
屋上 ダンスホール
建物裏手連絡階段 3階廊下ロビーなど
大食堂 厨房
額縁の部屋 3階その他の部屋
家族風呂 客室棟
1階和室棟


摩耶観光ホテル関連お奨めリンク
摩耶観光ホテルについて nk8513.exblog.jp 摩耶観光ホテルのパンフレット画像
わらしべ長者 > 人喰いゴマ団子」内の「マヤ観 摩耶観光ホテルの歴史


摩耶観光ホテルの歴史(文;廃墟大好き氏) 

摩耶観光ホテルは1930年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として兵庫県摩耶山中に設立された。
1932年からホテルとして営業を開始し、その概観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれて親しまれた。
建物はアール・ヌ−ボー調の鉄筋コンクリート5階建てで、山の斜面に沿って建てられている為、入り口は3階から、ということになり、ロビーも3階に配置されている。
当時の施設内容としては、20畳敷きの岩風呂、舞台付きの400人を収容出来る大ホール、下の階には中ホールがあり、大食堂、和・洋客室13室に加え、屋上にはビアガーデン、庭園の小動物公園、更にはローラースケート場があり、後のヘルスセンターの先駆けでもあった。
摩耶山を走るケーブルカーは戦時中「金属回収令」により、ケーブルの部品等を国事の為に差し出したり、というようなことがあったため、一時運行を休止。
その戦時中には空襲を受け、大きな傷痕を残しつつも昭和35年のケーブルカー再開に合わせて建物は修復され、ホテルの営業も再開されるのだが、ホテル側のPR活動不足の為、客足が遠のき経営が困難になっていた閉鎖の数年前は、学生向けの合宿専門ホテルの様になってしまっていたらしい。
そして、遂に運命の日。1980年代のある時(正確な日は定かではない)厨房からの出火が原因でとうとう営業を停止する。

ホテルに続くケーブルは1995年に近畿地方を大きく揺るがした阪神大震災によって一部が倒壊し、再び運行休止となる。
現在ではケーブルも復旧し、自由に行き来出来るようになったものの、登山客も多く人の行き交うすぐ、脇に建っている為、安全性を重視して摩耶観光に続く石段にはバリケードが建てられ、頑に他者の侵入を拒み続けている。
戦時中の空襲にも、震災の衝撃にも持ちこたえ、一時代を乗り越えて来た摩耶観光ホテルは、廃墟と化した今も尚、我々を魅了してやまない。
ありし日は、かの「昭和天皇」が宿泊されたという説もあるという。
今もその憂いをたたえた姿のまま、ひっそりと摩耶山中に佇んでいる。


戻る

inserted by FC2 system